豊岡・但馬の民話昔ばなし

田道間守(たじまもり)とタチバナの実

今からずっと昔、垂仁天皇の時代のこと、現在の豊岡市に田道間守(たじまもり)という人がいました。ある日垂仁天皇は田道間守を呼び「常世国(とこよのくに)という場所に、一年中とても良い匂いを放つ『非時香菓(ときじくかくのこのみ)』というものがあるらしいので、是非手に入れて持ち帰って欲しい」と命じました。

田道間守は唐(とう)の国や天竺(てんじく)の国など、さまざまな国を、その『非時香菓(ときじくかくのこのみ)』というものを探し求めて歩き周りました。

そしてついにその非時香菓を見つけました。それは美しい黄色の実と、葉のついた枝でした。田道間守は急いでその枝を持ち、帰国しましたが、旅に出てからは既に10年の歳月が経過していました。

ところが垂仁天皇はその1年前に、田道間守の身を案じつつも崩御されていて、残念ながらせっかく持ち帰った非時香菓を渡すことは成りませんでした。田道間守はその事をたいそう嘆き悲しみ、御陵(みささき/天皇のお墓)に非時香菓を捧げたまま、息絶えてしまいました。

その時に持ち帰った非時香菓こそ、今で言う橘(たちばな)の実で、今はその実が品種改良されてミカンとして全国の人々が食べられるようになりました。またその時持ち帰った橘の実は、田道間守の故郷である豊岡市の中嶋神社に祀られました。

そのことから現代において中嶋神社は「お菓子の神様」として知られ、毎年4月に行われる例祭(菓子祭)には全国の製菓業者が多数参列し、田道間守に感謝し、菓子業界の繁栄を祈願するならわしとなっています。

なお金波楼の「時じく」は、この「非時香菓(ときじくかくのこのみ)」を由来として命名されました。

  • 中嶋神社の鳥居

  • 菓祖中嶋神社の由来

  • 中嶋神社境内の橘の木と実